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南近畿寺社巡り その1 その2 その3 その4
聖徳宗総本山法隆寺 南大門 日本最古の世界文化遺産  

↑金堂

←五重塔

大講堂
東室 聖霊院

夢殿

聖徳太子の遺徳を偲び、行信僧都が天平11年(739)に建てる

 

大宝蔵院は撮影不可でした。百済観音像(飛鳥時代)、夢違観音(白鳳時代)、玉虫厨子(飛鳥時代)

聖徳太子に関わるお札の多いこと

世界遺産高野山へ。古くは女人禁制の山でした。約1200年前に弘法大師が開いた真言密教の一大霊場。金剛峯寺ほか、117の寺院が林立。

 

<高野山金剛峯寺>高野山の本坊であり山内多くの子院と日本全国の高野山真言宗三千ヶ寺を宗教行政上管理する総本山であり、高野山真言宗管長高野山座主の住坊。高野山二世真然の御廟の所在地である。豊臣秀吉が建てた学侶方の青巌寺と行人方の興山寺があった敷地に金剛峯寺を建てた。表門を入ると正面に主殿とその右に台所がある。主殿の右に大玄関がある。主殿は桧皮葺書院造で、造営は文久三年(1863)である。

<壇上伽藍>へ。すぐそばです。
 
「根本大塔」は高さ48.5m

山王院

 

↑重要文化財 御社と山王院

壇場の西端にあり、三社が並列する。右から丹生明神、高野明神、十二王子百二十伴神をまつる。弘法大師は高野山開創にあたり、仏教の諸尊と日本在来の神との融和に意を用いられ、高野山の地主神として丹生明神と高野明神(狩場明神)を勧請された。その本社は山麓天野にある。御社の前の拝殿を山王院という。ここで毎年きまった日に月並問講などの儀式を行う。

 

→この建物の中央の戸を開けると御社の正面中央につきあたる感じです。

高野山は、西行が仏道と歌道の両修行に勤しんだ真言宗の聖地でもあります。久安5年(1149)、入山。一度目の奥州の旅から帰って後、その4、5年後、32才〜33才のこと。ここから約30年にわたる西行の高野山時代がはじまる。その間、絶えず各地を往来し、春は吉野の桜を訪ね、都にも頻繁に出かける。高野山では、広い村内に片隅に小さな庵を結んで、ひそかに暮らしていたらしい。

《高野に籠りたりけるころ、草のいほりに花の散り積みければ》

《散る花の 庵のうえをふくならば 風入るまじく めぐりかこはん》訳 桜が風に舞い散って、庵の屋根を花で葺いたように降り積もったならば、その花びらがもう風に吹き散らされないように、周りを囲ってしまいたい

歌を詠むことが、仏道修行に値するものだったようです。

《一首詠み出ては一体の仏像を造る思ひをなし、一句を思ひ続けては秘密の真言を唱ふるに同じ》訳 自分は一体の仏像を造る思いで歌を一首詠む。必要なことばを探し、真言(呪句)を唱えるつもりで呻吟する。

《我れ此の歌によりて法(悟り)を得ることあり》

金剛峯寺の隣、宿坊 一乗院

イケメンの多いお寺です。

こたつの上、写経1時間半ほどで書きあげました。

 

 

 

 

 

 

 

書き終える頃、夕食。部屋食です。

部屋まで運んできてくださいます。 金時草のお浸し 胡麻豆腐、
菜花ご飯、季節の漬物、苺
寒天梅肉和え、空豆塩蒸し、うるい
オイル漬け、蕗の薹素揚げ甘味噌添え
アスパラホワイトアスパラ
あしらい一式
諸味噌醤油 トマトソース
春のいろいろ野菜
精進マヨネーズ
ウスイ豆すり流し 馬鈴薯

たらの芽天麩羅 筍旨煮、京芋饅頭
完食です。
カラー葉書きをいただく。
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