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多摩御陵

---昭和2年(1927年)に大正天皇御陵として多摩陵が建立され、その後貞明皇后の多摩東御陵が昭和26年(1951年)に建立され、平成に入り昭和天皇の武蔵野御陵、その後香淳皇后の武蔵野東御陵が建立されました。

甲州街道の銀杏並木は、昭和2年(1927年)2月多摩御陵が造営されたのを記念して植樹。 宮内庁の管轄。
大正天皇(多摩陵)・貞明皇后(多摩東陵)・昭和天皇(武蔵野陵)・香淳皇后(武蔵野東陵)

---以上http://kattyan.ath.cx/tamagoryou/より拝借

多摩御陵に着くまでケヤキ並木が続く。参道にはまったくみやげ物、蕎麦屋などなし。参道横ではふつうの暮らしが営まれている。しかしながら、参道は道路幅もかなり広く立派。

以前は多摩御陵前駅(京王多摩御陵線)があったそうだが、線が廃止されたとのこと。甲州街道を跨いで「御陵線」が走っていた。もともとは多摩御陵への参拝客輸送を目的に建設されたが廃線となり、現在は京王高尾線の山田駅付近までが再利用されている。

標識 ほかに案内はない 石砂利を進む。左側緑の柵、道を改装しているため工事がおこなわれている。

大正天皇多摩陵(たまのみささぎ)

大正天皇は・・・大正15年(1926年)12月25日に崩御。 陵の形態は上部2段・下部3段の上円下方墳で、上円は
直径15m・高さは10.5m、一番下部の段は一辺27mの正 方形です。
南面は前方部の形をとっているので前方後円墳のような 形をしています。
多摩川の石が葺き石として用いられています。
鳥居を隔てて陵の正面に皇族拝所があり、階段を下った
所に特別拝所、さらに下ったところに一般拝所があります。
皇族拝所と一般拝所には鳥居が設けられている。

貞明皇后多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)

貞明皇后・・・昭和26年(1951年)5月17日に崩御。
陵は大正天皇陵のほぼ東に位置し、そのため「多摩東陵」と命名。
陵の構成は一般拝所に段がないことを除けば、大正天皇陵とほぼ同じです。

昭和天皇武藏野陵(むさしののみささぎ

昭和天皇・・・1989年(昭和64年)1月7日に崩御。
大正天皇陵の北東に位置し、陵の形態は大正天皇陵と同じく上部2段・下部3段の上円下方墳。
大正天皇陵より上円部の丸みがなだらかになり、また一般拝所から墳丘がある段までの高さが
低くなっており、威圧感を減らす試みがなされています。

香淳皇后武藏野東陵(むさしののひがしのみささぎ)

香淳皇后・・・平成12年(2000年)6月16日に崩御。
昭和天皇陵の南東に接して位置し、拝所などの構成は他の陵と同様。
おおよそ東方にあることから「武蔵野東陵」と名付けられました。

うかい竹亭

先八寸 菜種和えぶどう豆、

ふきのとう白和え、椿すし

 

かにしんじょう、大根の薄切りは

遊び心で薄氷のお見立て

マグロ、

鯛はもみじおろし醤油で

徳利蒸し、鱈、豆腐、春菊

朴葉ステーキ 牡蠣茶碗蒸し 一口蕎麦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫁菜しらす飯、柚子シャーベットは見立て兎。「真心是道場」真心の在るところにいればそこは常に道場となる。そんな意味だそうです。

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