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松浦鉄道沿線を行く

1日目2日目3日目4日目

伊万里の町を散策 陶器商家資料館

大川内山散策

「今福海の里食堂」でランチ

松浦鉄道乗車 今福駅→たびら平戸口駅

「カトリック田平天主堂」

「たびら昆虫自然園」

「ストロベリースタイル カフェ&ギャラリー」

「展海峰」からの夕日

「アンティカオステリアデルマーレ」で夕食

昨夜の回帰月食の様子を伝えている  
  スカイツリーの上に月  
ホテルの朝食

【伊万里の町を散策】

 

昨夜見た陶器の人形「古伊万里美人像」は毛糸の帽子をかぶっている。

上らないと帽子かぶせられないね…。

団体で散歩していたら、旅行者にプレゼントとかばんをがさごそ、クイズの封筒を人数分くれた。

さすが観光地。

角の店には日本地図の焼き物。

タイルは伊万里の特産品 かぶとがにはもうほとんど食さない ブランド牛伊万里牛
鍋島藩秘窯の里大川内山 伊万里牛オブジェ 白壁土蔵造の家が並ぶ

伊万里市陶器商家資料館「丸駒」は旧犬塚家

 

10時オープンを早めて開けてくださる

正面大戸は揚げ戸という江戸時代のシャッター。

急な箱階段を上り二階へ

江戸時代の伊万里町は、多くの陶器商が活躍し、中でも犬塚家は、創業が明和元年(1764)頃と伝えられ、伊万里津屈指の陶器商として丸駒の商号、で、大阪や江戸へ盛んに陶磁器を積みだしていた。

昭和63年(1988)7代により目当主の犬塚伊三郎の姪にあたる故吉永タキさんから、市民のお役に立てたいと、故人の篤志により伊万里市に遺贈される。平成2年度から修理復原を行い、平成3年(1991)「伊万里市陶器商家資料館として公開。

当主の部屋へ

 

皿輸送用のトランク

荷物を2階へ上げる滑車

ビルトインの家具

この小窓から下に指示

引き出しを開けると 道中差し入れ置き場 伊万里津には遊びどころがなく、妻・娘の日本舞踊、三味線でもてなす

皿を入れるトランク

 

ここは茶室

ここに水
透かし彫り欄間 釘隠しのための六葉飾金具 こちらも一俵と数える
1階に降りて、展示物を見る
 
絵の展示
隣の【海のシルクロード館】

17世紀後半に、肥前磁器の積み出しが本格化し、伊万里津の整備が進み、元禄3年(1690)に鍋島藩は伊万里津の重要性を認め伊万里心遣役という役人を任命。有田皿山などの焼き物産地から運ばれた陶磁器の積み出しを一手に引き受けたことが伊万里津の繁栄につながり、『伊万里』(古伊万里)の名が広まる。
寛文初年(1661)頃、紀州商人が伊万里津にきて陶磁器の江戸方面への積み出しをはじめ、正徳年間(1771-15)には、伊万里商人によって京都や大阪方面で取引がおこなわれ、寛政2年(1790)には対馬藩の手を経て朝鮮との交易も行われる。

天保6年(1835)には俗に「千軒在所」と呼ばれた町の一割にあたる80軒ほどが陶器商で占められ、筑前・紀州ほか、下関、出雲、越後、伊予などの商人が盛んに往来して、全国各地に『伊万里』を売りさばく。

海外へは長崎出島のオランダ商人の手で『伊万里』は、江戸時代前期(1670-80年代)を最盛期に、インドネシアのバタビア・アフリカの喜望峰を経て、ヨーロッパに続く海のシルクロードを運ばれ、王侯・貴族といった上流階級に愛好される。

店構え 2階の展示  
釉薬によりブルー、赤、紫   カメラのフラッシュをたくと
色が変わる

赤の磁器にスマホを入れライトを点けると、光を通す。

薄い磁器。

船箪笥 記念撮影、落としたらどうしよう クリック拡大
撮影用に大皿を持ってきてくれた ケーキの磁器 欲しかったが悩んでいるうちに
買い物時間終了
相生橋
佐賀銀行の壁を飾るからくり時計、
愛称は万里音(まりおん)
山口ベーカリーへの道  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

各地の名前をもつ店

お菓子屋

山口ベーカリー到着 懐かしいバタークリーム コッペパンの中にバタークリーム、
ドレントチェリー
できたて プレートに合わせてのパンのサイズ 名物
総菜パンも豊富 よく当たる宝くじの店(茶舗) にわとり???写りきれない幸橋
延命橋の延命地蔵は車窓から
【秘窯の里大川内山】

江戸時代、佐賀藩(鍋島家)は、主に将軍家や老中など幕閣への献上用の焼物を有田で製作。1660年に佐賀藩は製作技法が他に漏れないよう有田から、険しい地形の大川内山(おおかわちやま)に藩窯を移転させ、「秘窯の里」として、入り口に番所を設け、採算を考えない高品位の特別あつらえの献上品を幕藩体制がなくなるまで作り続けた。

現在の窯元は、藩窯で培われた高度な技法を受け継ぎながら新たな技術を取り入れ、350有余年の歴史を現代に伝える。

30軒の窯元が集まり、楽しみながら散策ができる。山水画のような奇岩と窯場の煙突が印象的。春と秋に窯元市が開催される。

鍋島藩窯橋 反対側 伊万里鍋島焼会館の案内板
  坂を上っていく  
 
  煙突が見える  
【今福海の里食堂でランチ】
テレビで紹介された海の食堂
農家のかたわら食堂経営
エビフライ、アジの唐揚げ
お刺身 あら煮 売店に行くと、かごが激安
海を眺めに行く テトラポット 伊万里湾
かごを買う(600円) 2個 カメラマンさん
編集長 寒そう  
【今福から松浦鉄道乗車】 鷹島口で乗車予定が、バスが乗り付けられないとのことで「今福」から乗車
電車が来るのを待つ    
やってきた   40分近く乗車する
  駅の待合いには絵が飾られている ずっと海のそばを走る
枝がいっぱいの木   友だちに手を振る高校生たち
カメラマンが「SとN」の写真を撮っていたので、私も同じ景色をいただき! 工業用水のタンク 火力発電の松浦発電所
    トンネル
  棚田 いよいよ終点「たびら平戸口」着
平戸(島)への玄関口 女性駅長、大石文子さん
JR松浦線の思い出   アンパンマン
レール ジオラマ 切符
博物館のようだ    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和44年長崎国体昭和天皇お召し列車

駅舎外側、この先に巨大昆虫像があった

サイン色紙多数飾られた中、撮り鉄カメラマン中井精也のサインがあった

サインといえば、字が読めず誰のものかわからないものだが、きちんとわかるように5W1Hが記されている

中井精也さんとのツーショットも貼られていた(後で気付く)

 

「SとN」の記事には大石駅長と松浦鉄道との自分史が載っていた。”誰でも書き込めるノート”は公開交換日記となり、赤字で大石さんが返事を書く。

実際に、ノートは訪ねた時も健在だったが、手に取らないでしまった。

 

日本最西端の駅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅そばでバスが待っていてくれた 大石駅長にバイバイ

駅そばに巨大カマキリ

こまごまと松浦鉄道に乗っているけれど、今福駅→たびら平戸口駅で730円

【カトリック田平天主堂】
長崎は教会が多い    
  墓地 ここから先は禁止

キリスト教復活後に信者たちの祈りの場として建てられた天主堂。今日かい設計の第一人者・鉄川与助が設計・施工。

施行から大正7年(1918)に完成、国の重要文化財。

 

教会の中、靴を脱いで少し見せてもらった

ステンドグラスの窓が美しい

中は撮影不可

平戸市立【たびら昆虫自然園】3000種類以上の昆虫が生息
昆虫の写真 白石さん カブトムシ幼虫の糞
陽ちゅう   虫がいます
虫がいます 里山の園内を歩き、サンショウウオを見せてくれる
このために今朝捕獲してきたもの
あとでリリース ミツマタの花 せせらぎの石を持ち上げると
サンショウウオの卵
プラチナコガネの標本

白石さんが壁に飾っている標本をテーブルの上に置いてガラスをはずしてくれたので、みんな写真を撮りまくる

 

寒い時期なので今は昆虫はほとんど見かけることはできない

【ストロベリースタイル カフェ&ギャラリー】
牛乳、いちごにこだわりのケーキショップらしい
ケーキのショーケース 2階のカップルシート その奥にコミックギャラリー
  盛り付け 黒ダイズチョコケーキ、イチゴマカロン、シュークリーム、イチゴゼリー
1階売店横にはキッズスペース
【夕日を見るため展海峰へ】
古い橋 並走して走る松浦鉄道 バスの運転手さんが車窓から見られるよう加速、減速し走ってくれる
和喫茶息福(いっぷく)
佐世保といえば佐藤正午氏、その話も少し出て、Aさんに伝えたかった
車窓からの夕日、運転手さん、夕日に間に合うようにと加速 コスモスも咲くらしい
夕日を見るためにひたすら上る 階段を上るだけだ 間に合った
東北の方角を見ると佐世保の町    
もう少し 沈んだ  
  歌の石碑「九十九詩人」 駐車場にはカキ小屋
(土日のみ営業)

運転手さんは今日でさよなら

カメラマン、帽子着用でと撮影頼む

ホテルへ向かう 重機がたくさん

夕日色に染まる景色

 

佐世保駅前のホテルにチェックイン後、今日の夕食「アンティカオステリアデルマーレ」へ

16名で貸し切り

前菜 ワイン 白インゲン豆のポタージュ
魚介ラザニア ポーク スイーツ
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