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後楽園
9月中旬、日中残暑厳しき折り、後楽園あたりへの旅へ。
まずは腹ごしらえ。この頃のマイブーム、蕎麦屋さんへ。銀座のよし田さん。昼12時頃のため、ビジネスマンが多い。男性客が多い。100円で大盛り。既にお酒の杯を傾けている人も。
←名物のコロッケ蕎麦と鰊蕎麦。コロッケは鶏のミンチのような中身。汁の中に浸っていてもふやけない。だし、そばとも、どこにもありそうでないきちんとした味です。かぼすの風味あり。
店内、テーブル、壁のお品書きなど年季が入っています。酒の肴も豊富です。

店を出ると黒猫がお出迎え。入る時は留守でしたが、おうちに帰ってきたようです。ダンボール箱を丁寧にかわいい張り紙でくるんで、さらに浅い箱を載せています。猫好き&リサイクルの基本です。写真を撮っていると、お店の人がやってきて、野良猫だけれど引っ掻きもしない。撫でてやってくれと言う。ふだん野良猫は触らないけれど、そこまで言われたので、顔と喉の辺りをごろにゃんとなでなで〜。

次に小石川後楽園に移動します。水戸黄門ゆかりの大名庭園です。
江戸時代初期、寛永6年(1629)に水戸徳川家の
祖である頼房が、その中屋敷(のちに上屋敷となる。)として造ったもので二台藩主の光圀の代に完成した庭園。庭園の様式は池を中心にした回遊式築山泉水庭。光圀は造成にあたり明の遺臣朱舜水の意見を用い、円月橋、西湖堤など中国の風物を取り入れ、園名も舜水の命名によるなど中国趣味豊かな庭園。後楽園の名は、中国の范仲淹(はんちゅうあん)「岳陽楼記」の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名づけられました。小石川後楽園は文化財保護法によって国の特別史跡・特別名勝に指定されています。この二重指定を受けているのは全国でも、浜離宮恩賜庭園、金閣寺などごく限られています。(パンフより)
園内に入ると大きな池。
左の上には観覧車。
築山と蓮 奥にはドームホテル
白糸の滝、沢渡り 水田 ↑九八屋(くはちや)。江戸時代の風流な酒亭。「酒を飲むに昼は九分、夜は八分にすべし」と酒のみならず万事控えると良しとするという教訓による。

↓内庭
水戸藩書院のあったところ。昔は唐門によって仕切られ、大泉水側の「後園」と分かれていました。
←寝覚の滝、木曽川
内庭池水の末流が滝となって木曽川に落ちるところで、木曽路の名所「寝覚の床」にちなんで呼ばれている。
→蓬莱島
島は亀の形をしており先端の大きな鏡石は庭師徳大寺左兵衛にちなんで「徳大寺石」と名づけられ、弁財天を祀った祠がある。

 

入り口近辺です。
→枝垂桜は入り口すぐのところ。樹齢推定約60年。3月下旬が見ごろとのこと。



←中国の名勝地「廬山」にちなみ京都清水に似ていることから、藩祖頼房 の求めにより寛永17年に林羅山が「小廬山」と名づけた。現在はオカメザサに覆われた丘のことを小廬山と呼んでいる。
入り口から左手のほうに進みます。
渡月橋…大堰川にかかる低い土橋で京都嵐山の渡月橋の名をとったとのこと。写真を引いて撮ろうと思い、撮り忘れました。
←渡月橋左手。西湖堤です。
→渡月橋右手。奥にかすかに赤い通天橋が見えます。
←涵徳亭(かんとくてい)  本園創建時代に造られた萱葺の茶室で硝子紙をもって障子としたため「ガラスノ茶屋」と呼ばれていたのを、享保年間に林信篤が涵徳亭と名づけた。
現在の建物は4代目で昭和六十一年に再建した。
こちらは昼、夜と食事どころとなっています。庭園を眺めながら食事がとれるようです。
園内の案内板の地図です。都心の中にこんなすてきなオアシスがあります。梅、桜、フジ、ツツジ、カキツバタ、ハナショウブ、スイレン、ハス、紅葉と、四季の花を楽しめます。(クリックで大きく拡大)
夕方5時の退出に、門はすでにCLOSEDになっていました。
横の道を進み、東京ドームに向かいます。回り込んだところにはもっとりっぱな門がありました。この門からは入れないようです。
東京ドームです。堂々とビールとお弁当が食べられます。お弁当は炊き込みご飯の幕の内。1300円。ビールは800円。
巨人vsヤクルトスワローズ。始球式は林家一平。どうもすいませんポーズ。ちびっこの送球ショー、ジャイアンツダンサーの踊りなどが合い間にあります。春日部屋のお相撲さんも観戦に来ていました。

都心半日の旅。じっくり楽しみました。

そして帰宅してから、自宅の保存版テープで後楽園を復習です。

ドーム横にどっしりと広がる後楽園。 都心にこんな武家屋敷風情。 葵の御紋の瓦屋根
家康の子、頼房によって
造られました。
そしてその子、光圀公の代に
完成しました。
門に入り中がすぐ見えないよう
木々が生い茂ります。
水戸の屋敷にはこんなしかけが
多数見かけられるとのこと。
その木々を抜けるとぱっと
違う景色が広がります。
内庭です。
そしてまた森が広がります。 江戸時代、幕府は参勤交代で江戸にやってくる大名に土地を与え屋敷、
庭園を作らせました。その数1000にも。後楽園は20000ha、70,847.17u。
後楽園では日本、中国の名所が
造られました。寝覚の滝。
木曾の寝覚めの床が原案。
滝の石の骨組みに模されました。
江戸時代から有名だったそうで
それを模したとか。
木曽路。東に行けば江戸、
西に行けば京都です。
西に進み、池。
これは琵琶湖を表現しています。
大名庭園はとにかく池に
象徴されるそうです。
  今回撮影しそこなった嵐山渡月橋。  
上流には通天橋。 上から目線。 紅葉時の通天橋。
大堰川と西湖堤 中国の西湖を模して造られました。後楽園は江戸時代のテーマパーク。

田植えをした後の田んぼです。農業を重んじるということで大名庭園にはこのような田が多く見られます。
後楽園と共に忘れてならないのが六義園。柳沢吉保が造りました。当時、政治と大名・庭園は無関係ではなく、そしてこうしてすばらしい庭園が造られ、都心の美しさを今に受け継いでいるのはうれしいことです。

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12月中旬紅葉。都内ではまだまだ紅葉の時期です。
今日は時間たっぷりです。前回気付かなかった通天橋を渡り上からの景色も楽しみます。水面に映る紅葉もきれいです。都内に雪は1度か2度しか降らないのに演出たっぷり雪吊りの飾りつけ。
田んぼでは手入れをする人々。畦道も作られたばかり。
梅、桜、蓮の花の咲く頃も訪ねたいものです。
冬桜。 涵徳亭そばにみごとな色の
紅葉の木。
中で休憩。
お弁当、抹茶セットなどもあります。
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