海と森と里 つながりの中に生きる
1.人が変えた自然
時代の価値観が反映する。このまま広葉樹を切っていったら25年で広葉樹林は消える。ダムを作れ、理由を考えろ、という議員。昭和40年代農薬を多用し楽して農作物を増産。
2.断ち切られたつながり
1800haの三番瀬。1960年ごろから全国の干潟は埋め立てられ工場地帯へ。住人のため団地が作られ、窒素やリンを多量に含む生活排水が激増し海に流れ込む。植物プランクトンが異常発生。魚や貝が窒息。自然界のバランスを壊す。1960年代農業も変わる。化学肥料、農薬。有害な化学物質が川に流れ込む。
工業人口の増大、農業人口の激減。
3.森と川の役割
1haあたり2000本植えていたのを1.5倍植えなければ補助を受けられない。雑木林(広葉樹)にしておくのは恥ずかしいことだった。外国産材木の輸入。1980年をピークに針葉樹木材の値段が下がる。工業製品の自由化と共に農産物の自由化。
4.つながりの中に生きる
漁場、太平洋が与えてくれていると思っていたが、8割は山から流れてくる川から。広葉樹の山は針葉樹の山の2.5倍の速さで水を吸収してくれる、山の田んぼの30cmの畦は大雨時貯水池となる、工業化の進む中生きにくい環境が進んでいる。山から海に流れ込む栄養分が少なくなる。プランクトンを食べて魚や貝が育つ。堰、鮭が川を上れない。産卵後の鮭がリンや窒素、カリウムとなる。循環を断ち切る。洪水が起こると泥水が流れると、養殖業者がダムを作れと言った気仙沼。森は海の恋人。漁業者による植林運動へ。上流域の人たちも海を思うようになる。
間伐材の利用。フォレストベンチ。林業者が自分でやっているからまかなえるが。木材の適正な価格での流通は厳しい。
東京湾から姿を消した甲殻類、魚。50を超える川、三番瀬の干潟が東京湾の漁場を支える。川の流域に保全、再生がかかっている。 |