母53才(当時伸子さん27才)で亡くなる。それまで母に何でもやってもらっていた、支配されていた、のがフタが取れた。同年、長男出産。1980年、直人氏が当選して共働きになれた(本人の表現)。
尖閣諸島問題、弱腰かと言われるが、国際連盟、強腰で脱退し戦争に突入、弱腰でも戦争しないほうがよい。
長男、中3、5月不登校へ。「菅が偉かったのは、行きたくなければ行かなくっていいんだよ、と言ったことです。」菅氏は国会議事堂にも連れて行く。訊かれれば「この子、学校行ってないんだよ。」と説明したと言う。その子は
岡山で選挙2回落選し、それから京都の大学へ33才で入学。15才下の同級生でも大丈夫だった。
次男、ブルータスお前もかと、中3、5月不登校。単位制(定時制)高校へ。伸子さん、長男の時と態度を変え、「言わない」、「言わない」と、家で言う。4年かかって卒業。獣医になりたい、3浪して北海道の酪農大学へ。
2004年伸子さん、クモ膜下出血。意識があり、運ばれる時いっしょにいた菅氏に「5/31命日になるかもしれない。」と。当時、菅氏が年金未納事件で大臣辞める。、本人曰く社会保険庁出血だったと。年金未納になってしまったいきさつ(議員と違い、大臣は健康保険は公務員共済だが、年金はそれとセットになっていなかった)を細かく説明。一寸先は闇が口癖。
夫人外交。たいへんと言われるが、サミット、APEC…集まってご飯食べるだけ。各国首脳夫人好奇心が旺盛。お寺での精進料理、椀物をお代わりする夫人も。着物を持っていたので急遽衣装を作らずにすんだ。
若い時からの選挙運動。同窓会名簿などで地図落としをしていく。戸別訪問が良い。
96年まで、選挙カーに乗らず。「うちの夫の男にしてください。」なんてセリフ無理。その後はカラ車はよくないということで乗車。 |